EN VTuberの英語が分からないときの考え方-理解できない英語になぜ価値があるのか

英語備忘録

2025/12/20

今日はNIJISANJI ENのShuのNew Outfit配信を観てた。

So comfy! カメかわいい。

今日はLUXIEMの4周年記念日みたい。

4周年おめでとう🎉🎉🎉🎉

ということで、少し前にYouTubeで見つけたShuの配信の切り抜きを参考に、
前半で「英語話者の配信者に対して、非英語ネイティブはどう向き合うか」について、後半で「VTuberの英語配信が理解できないときにどう考えるか」、「なぜ英語が分からなくてもEN VTuberの配信を観る価値があるのか」ということについて書く。

切り抜きと元配信

切り抜き↓

チャンネル: にじEN☆ゆーぐれ
タイトル:シュウはJPじゃない…ENライバーとして譲れないこととは…⁉️【闇ノシュウ|NIJISANJI EN|にじさんじ】(日本語字幕)

元配信↓24:27あたりから切り抜きの箇所

チャンネル:Shu Yamino【NIJISANJI EN】
タイトル:Happy Saturday!

非ネイティブに配慮した配信を観て、楽しめるのか?

Shuのゲーム配信中に、リスナーの一人が”Stop being harsh to ESL viewers”、とチャット欄に書いたことから話が始まるわけだ。

“Stop being harsh to ESL viewers”という言葉だけだと、これを言った本人の意図があまり読み取れない。
文脈的に、非英語ネイティブのリスナーが英語が分からなくてShuの言葉を理解できないことに苦しんでるのかな?
ただ、harshだから「難しい」よりも「言い方がきつい」って言うニュアンスなんじゃないか?と思ったけど、ここでは例外的な使われ方がされてるのかもしれない。切り抜きでもそういう意図で解釈されてたし。Shuの返答もそういう解釈での返答だし。

別のパターンとして、英語ネイティブのリスナーの方が「難しい英語使うと非英語ネイティブのリスナーが理解できないよ」って意味で言ったパターンとか、英語学習者のリスナーがどこかでShuの対応が冷たいと感じて「もっと優しくして」と感じたパターンとか、いろんなパターンがあり得そうだなと思った。

真の意図はよくわからないけど、おそらく非英語ネイティブのファンだと思う。

今回は「Shuの英語を理解できなくて苦しんでいる非英語ネイティブが英語難易度を下げてもらうようにShuにお願いした発言」だとして考えてみよう。

気持ちは分かる。けど…

「英語が分からない英語学習者に配慮して」→これを言いたくなる気持ち、めちゃくちゃ分かる。

配信中に配信者が何を言ってるのか理解できないことってよくあるし、それが好きな配信者であればあるほどもっと理解したいって思うから、彼らのことを理解できないときにどうしても精神的負荷がかかる。

ただ、分かると同時に、絶対に言いたくないとも思う。

英語話者のVTuberが非英語ネイティブに合わせた英語をしゃべってくれるとして、その話し方で彼らが本来の面白さを100%発揮してくれるとは思えない。

面白さが十分に発揮されないとどうなる?
配信の面白さが減って英語ネイティブのリスナーはもちろん、非英語ネイティブのリスナーも「言ってることわかるけど、今まで見たいなテンポ感の配信と違う、なんかShuじゃないみたい」って感覚になる。

分かるようにしゃべったら、理解はできるかもしれないけど、それだと本来の面白さが損なわれて最終的に配信を観る気が失せてしまう。本末転倒だ。

配信者が自分のしゃべり方をセーブして誰にでもわかるようなコンテンツ作ってたら結局面白くなくなる。だから思う存分好きに喋ってほしい。

元配信内の25:26~あたりで本人も”That sacrifices my ability”ってはっきり言ってる。

本人がしゃべりやすいように、しゃべりたいように配信してくれるのが結局リスナーにとっても(少なくとも自分にとっては)ベストな形式だろう。例え彼らの言葉が理解できなくても。

言葉を理解できなくても楽しむことはできる

ここ数年hololive ENを中心に英語を話すVTuberを観てきて思うのは、「理解することと楽しむことは、関係はあるかもしれないけどイコールではない。」ということ。

理解するってのがそもそもどういう状態なのかにもよるけど、ここでは「相手が言おうとしていること=意図を把握して、自分の言葉で言いなおせる状態」としよう。

それができないとしても、相手が楽しんでいること、怒っていることとかは話口調や動きで何となくわかる。感情さえわかれば十分楽しい。

というか、それすら理解できないとしても、楽しむことはできる。

キーとなるのは、自分が楽しいと思える源泉をたくさん見つける力。

言語を理解することにしか楽しみを見出せない状態だと、母国語以外の配信を観るのが辛くなってしまう。

だから、理解力と同時に、自分の母国語じゃないコンテンツを楽しむ力を鍛えるのが重要なんだと強く思う。

で、それを鍛えるのは、英語とか日本語とかアラビア語とか、話されている言葉の意味そのものに意識を向けるんじゃなくて、その言語の音とか、発音のされ方とか、その配信者の声の綺麗さとか、話すときのテンションとかゲームのアクションとかチャット欄のファンの盛り上がり方とか、言葉の意味を理解すること以外の部分にある楽しみやわくわく感に気付く力が重要になるんじゃないかな。
そして、実はそういう部分も、間接的にはその言語の理解力を向上させることにつながる。

外国語の習得では継続が最重要だけど、その継続をするには、楽しむ力が重要で、その楽しむ力はどれだけいろんなことに視点を向けられるか、どれだけいろんなことに気付けるか、感受性豊かでいられるかで決まるんじゃなかろうか。

Shuがきっぱりと”that’s not negotiable”, “You simply have to get on my level”と配信の中で言ってた。
かっこいい。そして何よりありがたい。

そう。配信者が我々のレベルに合わせるんじゃなくて、我々が配信者のレベルに近づけばいい。

非英語ネイティブに配慮した優しくてわかりやすく丁寧な英語はVTuberの配信以外の動画で浴びればいい。

英語を理解できない状態で配信を観るのは無駄じゃない

そもそも、英語を理解できなければ意味がないのか?
そんなことはない。むしろ理解できない時間を過ごすことで鍛えられる力がある。

具体的にどんな力がつくのか、例を挙げていく。

分からなくても観続けることで、持久力がつく&英語への抵抗感が減る

例えば、①曖昧さの許容性 (Tolerance of Ambiguity)。

これは、分からない部分が出てきても、そこにとらわれすぎない力だ。

これは第二言語習得研究で出てくる概念でもある。

詳細は「第二言語習得と母語習得から『言葉の学び』を考える」(和泉真一・著)を参照

第2言語習得と母語習得から「言葉の学び」を考える - アルク出版サイト 英語学習・語学教育の総合カンパニー
第2言語習得と母語習得から「言葉の学び」を考える詳細をご覧いただけます。

曖昧さの許容性は、例えば、細かい部分は分からないけれど、全体を通して何を言おうとしているのかという部分を理解しようとする、であるとか、分からない部分が出てきても、忍耐強く聴き続ける力。
この力があることで、外国語のコンテンツを長時間浴び続ける持久力を養うことができる。

今後、EN VTuberの配信を観るときでも、今後実際に英語話者と関わるときでも、英語リスニングのテストを受けるときでも、その人が何を言っているのか分からない場面が必ず出てくる。
そんなときに「あ、今のとこ、なんて言ったのか理解できなかった…どうしようブルブル」なんていちいち分からないところに反応してたら身が持たないし、そんないちいち反応してパニックになってたら、本来分かるはずだったところまで分からなくなる。

学校の授業や英語のテストのために「分からないところを分かるようにする」訓練を散々受けてきた。
だから、「曖昧さの許容性」が最初は全くなくて、「分からない」という状況が気持ち悪くてしょうがなかった。

でも、現実では「分からない状況でどうするか」もめちゃくちゃ重要だろう。

だからこそ、理解できないコンテンツを観ることにも価値がある。

推測力が鍛えられる

そして、②推測力。

分からない言葉や文が出てきたときに、前後の文脈や相手の表情、声のトーン、配信されているゲーム内の状況など、自分が持っている情報や知識を総動員させて何を言っているのかを推測する。もしくは想像する。

分からない部分を補ったり、想像したりすることで、分からなくても要点の把握ができる。分からないところに詰まったりすることが減る。
辞書だけでは読み解けなかった言葉のニュアンスをくみ取れて、その言葉をより深く理解する力の土台になる。

12/27追記:「何を観るか」を選別する力がつく

昨日、本屋をぶらぶらしてたときに「観る技術、読む技術、書く技術」という本をたまたま見つけた。(著者:北村 匡平、出版社:クロスメディア・パブリッシング)

このタイトルの「観る技術」という部分に惹かれた。
「読む技術」とか「書く技術」の本はたくさんあるけど、「観る技術」について書かれた本ってそこまで多くないなと思ったから。
そしてなによりも、自分も毎日英語のコンテンツを「観てる」から。

この本の観る技術について書かれた章の中に「観る映像の選び方」について書かれていた部分があったんだけど、その内容を読んで、「あ、そういえばこれ書いてなかったな」って部分があったことを思い出したのでつけ足す。

英語習得を意識して映像コンテンツを観るときには、必ず「何を観るかを決める」っていう過程があるんだけど、最初の段階で「そもそもこの世に大量にある映像コンテンツの中でどういうものを観ればいいの?どうやって決めればいいの?」っていう疑問にぶち当たる。

そういう「何を観るか」とか「どうやって観るか」みたいな自分の中から湧き出てくる問いは、理解できない英語コンテンツや、自分に合わないコンテンツを観ることでかなり鍛えられるんじゃないかと思う。

一例として、「何を観るか」について、自分が今考えている選び方の一部を書いてみる。

自分の場合、VTuberのゲーム配信で英語のインプットをしようとするとき、「マインクラフト」の作業配信は積極的には選ばない。
なぜなら、マイクラでひたすら何かを掘ったり、ブロックを配置したりするだけのいわゆる作業時間ってかなり単調な作業で、配信者も話すことがなくなって雑談に走りがちになる。
その雑談が面白いと感じるならいいけど、画面に映っている映像と直接関係ない話をされると、自分がその雑談の文脈や背景知識を持っていないとなかなか面白いと思えなかった理、共感できなかったりする。

何より、雑談は理解する難易度がかなり高め。
なぜなら配信画面に映っているゲームの進行状況と全く関係のない話題で、言葉を理解するためのっ手掛かりが少ないから。
また、単純作業の場合は、映像の変化を感じるのに比較的時間がかかり、映像自体にも面白みを感じづらくなってくる。
これは、分からない英語を浴びる時間を作ったことで気付けたことだ。

ただし、同じマインクラフトでも、世界を冒険するのがメインの配信は逆にかなり言語習得に向いていると思っている。
単調な場面が少なく、それに付随して雑談も少なくなるからだ。
何より、冒険は面白い。
いろんな配信を観る中でこういうことにも気付ける。


面白くて分からない→これは観る価値があると思う。
でも、面白さを感じられないし、分からない→これは正直観なくていいかと思う。次の動画に行こう。

逆に、先日のThe Game Awards 2025のBest Multiplayer Gameにもノミネートされた「PEAK」は、ゲームの内容はかなりシンプル、ただ頂上を目指せばいいゲームであり、プレイヤーが飽きてしまうほど気を緩める時間はほとんどない、かといってスマブラみたいにずっと気を張り巡らせる必要もない、ちょうどいいバランスのゲームだ。
だから、配信者が配信のゲームの内容と関係ない雑談を開始したり(雑談は映像と関係ない話なので、内容理解が一気に難しくなってハードル高め)、プレイに集中しすぎて無言になるみたいなことはなく、ゲームに関係のある話を基本的に配信中ずっとしてくれるかなり言語習得に向いているゲームだなあ。みたいなことが分かったりする。

こういうことは配信を数本見ただけではなかなか気づけない。英語が分かる分からないに関係なく、いろんなジャンルの配信や動画を観ることで、「あ、このタイプの配信はあんまり言語のインプットには向いていないな。」とか「このゲームの配信は自分には合わないな」みたいなのが分かってくる。
理解できるコンテンツだけじゃなくて理解できないコンテンツを観ることも重要になる。

この力をつけることで、ゲームジャンルで観るコンテンツを決める場合に「あ、こういうタイプのゲームはたぶん配信者の口数が減っちゃうから優先度は下げようかな」みたいな自分独自の選択ができるようになって、コンテンツ選びにグダったり疲れたりする時間がだんだん減っていく。

(※自分の場合は、好きなVTuberがマイクラの作業配信をしてたらもちろん観る。
それは言語習得とかとは関係なく、そのVTuberのcomfyで居心地のいい緩い配信の雰囲気を楽しみたいから。それに、作業配信中、配信者がずっと理解できない雑談をしたり、無言の時間が長くなったりするわけじゃない。
ただ、言語習得を最優先に意識してコンテンツを選ぶときにはマイクラの作業配信を積極的には選ばないよっていう話)

つまり、分からないコンテンツをたくさん観ることで「自分には何が合わないか」あるいは「どういうコンテンツなら合うか」を選別する軸が出来上がって、コンテンツ探しがうまくなってくる。

自分に合うコンテンツを見つけるのは言語学習、言語習得を続けるうえでめちゃくちゃ重要なので、これがうまくなるのはそのまま言語活動の継続につながる。

(余談:「観る技術、読む技術、書く技術」について。
この本、基本的には映像作品をどうやって味わうかっていう、いわば感性を磨く方法について具体的に書かれていたんだけど、これが英語習得のイマージョン、インプットの方法としてもめっちゃ参考になると思った。
映像作品を単に「情報」として消費するんじゃなくて、細かく分析しながら観たり、作者の考えを想像しながら読んだり、そういうしっかりとコンテンツを味わう創造的な観方を教えてくれる本。
上でも書いたように「感受性」を磨くというのは英語を継続させるうえでめちゃくちゃキーになるし、毎日映像と向き合って批評している人がどうやって映像を観てるのか、選んでるのかっていうのは言語学習、言語習得をする人にとってもめっちゃ参考になると思う。)

分からなくても観る意味について、上記3つを挙げた。
とにかく、「分からないコンテンツを観ることにも価値はあるよ」ってことを言いたい。

理解できない時間がもたらすものとして、上に挙げたような力がつくというのももちろんあるんだけど、なによりも、彼らのコンテンツそのものを楽しむことを思い出させてくれるのが一番価値があると思う。

もし好きなゲームや自分が習得したい言語を使う好きな配信者とか俳優とかがいれば、分かる分からないにあまりとらわれずに、自分の好きという気持ちを最優先にコンテンツを観ればいいんじゃないかと思う。

分かる分からないということにとらわれすぎないようになることで、彼らが作るコンテンツが面白い、楽しいって思える感覚を持てるようになる。

これ、言語習得というより生きるうえで重要だろう。

インプット仮説の「理解可能なインプット」の主張と衝突してない?

第二言語習得研究の界隈での有名人にスティーブン・クラッシェン (Stephen Krashen)という方がいる。
クラッシェンが提唱した第二言語の習得に関する仮説のうちの一つに「インプット仮説」がある。

インプット仮説では、理解可能なインプット(i+1)によって、言語は習得されるという主張がなされている。

クラッシェンの動画を一つ掲載しておく。

チャンネル: Stephen Krashen
タイトル: Optimal Input

この動画内の3:22あたりでもcomprehensible (理解可能)の話が出てくる。

(※余談:この動画の最後の方でクラッシェンさんが動画止めるのにちょっと戸惑ってて、お孫さんに手伝ってもらってるのめっちゃほっこりした。そうだよね。この人も人間で家族がいるんだよね。)

理解可能なインプットの主張と今回の「理解できないコンテンツを観ることにも意味がある」という考え方は正面衝突していないか?

結論、正面衝突はしていない。

インプット仮説の方は、その言語の意味を理解したり、実際にアウトプットするみたいな直接的な言語能力を上げることを主に指している。

対して、「理解できないコンテンツを観ることに意味がある」というのは、曖昧さの許容性や推測力、物事を楽しむ感受性スキル、語学そのものを継続させるための力など、非言語能力を伸ばすことを主張している。
(ここでの非言語能力は、言語の意味を理解したり実際に使ったりする力以外の能力のこと。「非言語能力」よりも「言語習得を支える周辺的、基盤的な能力」といった方が近いかもしれない。)

言い換えると、インプット仮説の「理解可能なインプットで言語は習得される」というのと「理解できないコンテンツを観ることで鍛えられる力がある」というのは、別の話だ。

また、今回書いている話は、「現実のコンテンツが常に理解可能なインプットであるとは限らない。理解できないインプットに出会ったときに学習者がどう挫折せずに言語習得を続けられるか」という、インプット仮説ではあまり取り扱われていない部分の補足にもなっている。

そして、非言語能力は結果的には言語能力を上げることにつながる。

なぜなら、非言語能力は言語に触れ続ける力(=継続力)の源になっているから。触れ続けてさえいれば理解可能なインプットにもたくさん出会える。

また理解できないインプットにも食らいついたり、AIなどを使って理解可能な状態に変換したりなどの工夫をする力の源にもなる。

理解できないコンテンツを観ることにも意味はある。
それを知るだけでも、言語の習得はかなり気楽になる。

教科書が面白くないのは非英語ネイティブに配慮されているから

配信中の言語は、非ネイティブへの配慮がないから難しい。でも配信者が好きなように喋るから面白くなる。

教科書とか参考書とかはその逆だ。

非ネイティブへの配慮があるから、できる限り多くの人が理解できるようにいろんな方面に配慮して作られている。
リスニングの教材では、ネイティブスピーカーが用意された台本を丁寧に読んでくれている。
だから比較的理解はしやすい。(もちろん難易度が高いものもたくさんある。)

それはいいけど、逆に言うと刺激がすくない。
スピーカー独自の話し方や笑い声、トークなどはないからリアル性に欠ける。
だから、教科書ばかりだと刺激が少なくてつまらなくなり、最終的に飽きる。

それよりは配信を観て理解できなくてもリアルのテンポを存分に体験しながらターゲット言語を浴び続ける方を自分なら選ぶかな。「選ぶかな」というより自分はすでにそっちを選んでる。

そっちを選びつつ、余裕があったらそういう配慮されていない外国語に対する理解力をつけるためにどうするかを考える。

補足①:理解できないコンテンツの中にも、部分的に理解できる箇所がある

難しすぎて理解できないコンテンツの中にも「理解可能なインプット」になる部分はある。

「この動画は理解可能なコンテンツ」、「この動画は理解できないコンテンツ」みたいに0か100で考えるんじゃなくてもっとバランスよく考えてみると視野が広がる。

ENのVTuberの3時間配信の中で、3時間ずっと理解できないなんてことはほぼない。(もちろん本当に一切英語に触れたことがないなら話は別)
「3時間配信、何を言ってるか分からない箇所が大量にあったけど、この配信の5:45のこの文は聴きとれたし意味も分かった!あとここも!ここも分かった!」みたいな場面はまず間違いなくある。

全体を通して理解可能かどうかを考えるんじゃなくて、部分的に理解可能な箇所がないかを考える。

そうすると、「EN VTuberの配信って理解可能な箇所と理解できない箇所の両方があるから、言語能力と非言語能力両方とも鍛えられるじゃん!」ってことに気付く。

補足②:知りたいけど理解できない箇所はAIに質問することができる

今の時代には、クラッシェンがインプット仮説を提唱した時代にはなかった生成AI、ネイティブと手軽にコミュニケーションをとるためのプラットフォームなど、分からない箇所を分かるようにする環境が整っている。

だから、そもそも今の時代においては、理解できること、理解できないことにこだわる必要はないんじゃないかと思う。

難しいコンテンツを理解可能にする方法なんていくらでもある。

ただ、そういう技術に頼りすぎることで、結局分からないという状況に耐える力が育たなくなるんじゃないかっていう懸念があるので、そこは注意したい。

あえて調べずに放置するのも言語習得においては重要だと思う。

※補足①と②では「部分的には理解できる箇所がある」ということや「理解を助ける手段がある」という話を加えたが、あくまでこの記事の主題は「分かるようにした方がいい」ではなく、「分からない状態で観ることにも意味がある」という点だ。

まとめ

やっぱり、配信者には非ネイティブに遠慮せず好きに喋ってもらいたい

これに尽きる。
遠慮せず好きに喋ってもらう。こちらはその喋り方を楽しみに観てる。

そして、第二言語の習得において、理解できないコンテンツを観ることにも意味はある。

なぜなら、分からない状態で観続けることで、これまで書いたような「曖昧さの許容性」や「推測力」、「感受性」、「継続力」と言った、言語習得を支える基盤となる力を鍛えられるから。

言語習得以前の根本的な話をすれば、言語能力にしろ、「曖昧さの許容性」などの基盤となる力にしろ、そういった「○○力を鍛えられるから」みたいな実用的な部分に注目する前に、そもそもその配信者が好きで、その人のコンテンツを観るのが楽しいなら、もうそれだけで観る価値があるだろう。

実用的な部分に注目しすぎると、結果や成長にこだわりすぎて、成長を感じられない時間が辛くなることがある。

言語習得は成長を感じられない時間の方が長い。

だから、結果や成長、実用的な部分に注目しすぎると必然的につらい時間を過ごす時間が長くなってしまう。

辛いとやめたくなる。

注目しすぎなくても、「曖昧さの許容性」などの基盤の力は自ずとついていく。

だから、もっと気楽に、「楽しい」という気持ちの方に注目するのも大事だ。
なんなら、「楽しい」と思えることこそが、言語が分からなくても観る価値がある最大の理由だ。

理解することは楽しむために必ずしも必要なわけじゃない。

今回、理解できなくても意味はあるという主旨で話を進めていったけど、もちろん理解力をつけることで気付ける楽しさもある。

だから、理解しようとすることも、分からないまま観ることもどっちも大事なんだよな結局。

Shuの配信では英語も日本語も使われてるけど、本人曰く、両言語ともその言語のネイティブに合わせて話してくれているらしい。ありがたい。そしてすごい。
Petraに並ぶ日本語つよつよNiji ENメンバー, Shu Yamino。

これからも存分に好きに配信してほしい。

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このブログを書いた人
こう

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ENのVTuberを観て英語に浸り中。

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hololiveENが好き。他のEN VTuberも好き。

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推し達の言葉をもっと理解するために英作してます。

英語、配信の面白さ、エンタメのすごさ、VTuber文化にいろんなことを教えてもらっている人間。

I usually tweet about my fave streams and concerts on X.
Xでは普段英語で好きな配信の話やコンサートの話をしてます。

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